享和二年(1802年)真澄49歳の紀行文です。
「しげき山元」で太良鉱山を見た後、10月に阿仁銅山から森吉山(森吉町)に登ります。
一ノ又(阿仁町)から小又川を遡上白糸の滝を見て、阿仁前田・米内沢(森吉町)・湯の台(鷹巣町)・独鈷(比内町)をへて大滝温泉で越年します。
この後大滝温泉で新年を迎え、「すすきの出湯」へと続きます。
真木沢鉱山 |
真澄:蛇腹の岩杭
旧暦十月、真澄は阿仁の真木沢鉱山にありました。
=真澄記=
赤銅彫りぬく真樹山のほとりにあって、里は嵐たち、雨に落ち葉にいざなわれて空は暗い。
六貫目にいう山を出て、笹平という山にきた。昨夜から風がすごい。途中、蛇腹の岩杭(いわしき)というところがある。岩が高くそびえ、渓がめぐっている。
阿仁町の真木沢鉱山跡
土山 |
=真澄記=
天盾という柵の跡と高い山がある。向林という村が川向こうに見える。
丘一つ越えた路に尼池の滝というささやかに水が落ちているにが見える。
綱引沢を過ぎて一の渡という巌がそびえ、不動の滝がある。鍋滝というのは一の股の山から流れ、二の股の谷川がここにきて落ち混じるところだ。ここで、いよいよ水が深くなる。
真澄:土山
土山の森吉登山道
真澄:鍋滝
不動の滝
天盾の集落
川向こうの向林の集落
登山道の清流
森吉山登山 |
=真澄記=
<二の股・三の股>
鶏栖がある。谷水を隔てて赤倉岳がそびえている。沼の台という高台に登れば、沼水が青く麓へ流れて、いかにも深そうだ。
<一の県>
石の細道に堂が立って鳥居がある。葉に隠れて獲り残ったやまぐみが、今は葉が散って実があらわだ。漁るように食べた。両瀧の沢という所に来て、ようやく雨が晴れた。
<ばくち長根>
笹台と言って、笹の深い小道を通っていく。ここは竹採の男、きこり等が集い、銭・米を賭け、斧・鎌を質として「ばくち」をした所だという。
森吉山
真澄:石積みの塔
<前嶽・中嶽・向嶽>
同じ山の頂で、>前嶽・中嶽・向嶽の三つの峰がある。
前嶽に小田がある。中嶽に石積みに塚がある。山にはいつの頃からかむろの木が生えていて、これを祀る人は朝夕に火を焚いて身を清めると言う。
中嶽の中腹に石の塔(石塔)がある。この下に堂があって、石の薬師仏を置いて、守良大権現と崇めている。秋田城之介の頃は神田などもあって栄えたと言うが、今では「森吉山龍淵寺」という名のみ残っている。
森吉山からの風景
森吉山頂付近
<山頂の展望>
東は岩手山、西の近くに男鹿の島山・寒風山、北は小田山・岩木山、南は栗駒山が見える。随分遠い。坤(ひつじさる)の方に煙が立っているのは鳥海山だろう。
「こほこほ」と音が聞こえる。山の神か?と聞けば、この音こそ「旭股」と言って、そこに「安が瀧」というどれだけ高いか測れない大滝があって、その落ちる水の音だと言う。そこは大股沢をいう仙北に近い沢で、誰も近づけない恐ろしいところだと語り合って休んだ。
真澄:森吉山
=AKOmovie=
森吉山登山を終えた真澄は、厳寒12月4日、白糸の滝を見ようと阿仁前田を出発します。小又川沿いに森吉ダム付近までいくのですが、今でも絶景が続くルートです。
狭間田村(阿仁前田) |
真澄:狭間田村
=真澄記=
金山に炭を持って運ぶ者たちの宿がある。向こう側の山沢の名を小又と言う。小又川の高台からみれば、岩たそびえ、木々が深く、波は高い。
阿仁前田の小又川付近
森吉 |
=真澄記= 昼よりは気温がゆるんだであろうか、屋根から雪が落ちる音がまるで地震のようで寝付かれない。 宿の主人は貧しいので、わらを厚く重ねて、その上に稲むしろを敷き、湖水から採った藻のむしろを置いて夜半の寒さをしのいでいる。「藻夜着のふとん」などと戯れているが、これを着て寝るのは耐え難い辛さであり、まったく眠れないうちに鶏が鳴いて朝になった。 |
鷲の瀬/小滝 |
小滝
=真澄記=
烏帽子坂と言う岩にしがみつかないと川へ落ちそうな路を歩いて、傍らの岩を頼って案内の後ろになりながら鷲の瀬という村についた。みなぎる水がたかく打ち上がっている。
雑魚淵(砕渕)、深度を通って小滝村に来た。村長に家で休んだら「これを持っていきなさい」と主が竹杖をくれた。
小滝集落にある伝承館
湯の台(湯の岱) |
=真澄記= 女木内という山里を川辺りに進み、滝ノ沢・下真名坂・上真魚坂などと言う険しい高地や、川に渡した丸木橋などを雪を踏みしめながら越えて湯の台に来た。 家が23件ある。門を入って火にあたって一息ついた。雪目で見えないが、碁を打つ音がする。誰だろうと、目が慣れてくると、童がハシバミの実をかむ音だった。 |
白糸の滝 |
真澄:白糸の滝
=真澄記=
破れた小舟の雪をはらって荒い波に漕ぎ出した。岩の上に乗り上げそうになる。右手に冠岩というのがある。不動明王が雪に埋もれている。
舟を降りて雪道を進めば、高い山かたら岩を二つ貫いて滝が落ちている。黒い岩面に白い糸すじになっている。周囲には桜なども多く、春秋は沢山の人が来るように思える。
白糸の滝
真澄:硯石
この谷には研台というところがあって、硯石の石材を沢山産出する。その石は墨のように黒く、また薄墨のようなものもある。また、金筋・銀筋と言って金ごんの線が入るものもある。まれには楓・ぶな等の花紋石もある。石は堅牢で試金石のようだ。しかし、この雪ではいずれにあるものか、、、
真澄:硯石
小滝/深渡/鷲の瀬村/森吉/早瀬 |
=真澄記=
鷲の瀬村では村長の四郎平のもとへ宿をとった。主が「上戸でなくてもこれは飲みなさい。」と濁酒を鍋で暖めて差し出した。女どもは臼を止めて見送ってっくれた。
森吉の村を過ぎ、雪を分けて早瀬の村へついた。
小滝集落にあるの霊泉
米内沢/長野 |
=真澄記= 阿仁前田の渡りをして米内沢で泊った。川越の森吉山が旭にきらきらと照っている。 森吉の村を過ぎ、雪を分けて早瀬の村へついた。 |
湯の岱温泉 |
=真澄記= 追分を過ぎて、上に湯の湧く「湯の岱」という村にでた。野山に男たちが群れて、「雪に雉を追い詰めて、俺は七羽落とした、俺は3羽落とした。」と騒いでいる。雉が追われて飛び立ち、追われては飛び立ちするのを一羽二羽と射落とすと言う。 |
独鈷 |
独鈷の大日堂
=真澄記=
独鈷村の山の陰に上野という所があって、行基菩薩が作ったという大日如来の堂がある。雪の中にいかめしく建っているが、杉木立の中はかつて浅利氏が住んだ跡だとか。
<浅利氏の由来>
堂の中には朽ちた仏形がある。鳳眼が破れ、匙頭が砕けた琵琶がある。これらも浅利家に伝わる器だろう。
真澄:仏形
真澄:琵琶
十二所 |
真澄:蝦夷が森
=真澄記=
大滝温泉を経て十二所村へ来た。里の傍らに高い丘があって、高祖に十二天との祠がある。これで十二所と言うのか。
また、文天の昔、浅利の家来で十二所なにがしという人が住んだという説もある。
ここには蝦夷が森という高山の麓で、遠く花輪、毛馬内まで聞こえた三徹が住んだ跡がある。
<くすし三徹物語>
蝦夷が森、今の三哲山
真澄:大滝温泉
米白川と大滝温泉
三哲神社
三哲神社