枝下紀行

天明4年、真澄31際の紀行文で、まだ旅に出発前の三河国でも紀行文です。

三河国矢作川の岸にある下枝下村の様子が書かれています。

 

まだ真澄翁が信濃へ旅立つ前のものとしては貴重な資料です。


かりまた

=真澄記=

かりまたという所にさしかかった。狩人風のいでたちの男が火筒を持って、火縄銃を腰に差して峰より下ってくる。

「かりまたに 踏みつけたりし細道を 問いつつくれば沿う川の里」


三河国下加茂郡枝下に至る

=真澄記=

枝下という所を通る。おかしな道だ。峰は高く、谷は深くてものすごい。遠方に見えるのは御舟という村だそうだ。

この村には古い松がたくさんあって、この里に宿を頼むことにした。老女が下草を刈って仕事をしている。


恋の男女、水に溺れし物語

=真澄記=

宿の老女が夜なべ仕事の傍らに色んな話を聞かせてくれた。その中に・・・・

 

この里に夜な夜な逢瀬を重ねる男女があった。ある夜、男は思い立って女を連れて舟を盗み川に漕ぎ出した。

おりから波も荒く、舟は揺れて斜めになり、岩にぶつかって砕けてしまった。男は中島という所の白洲に命からがら上り助かった。

 

女ははい上がる力もなく波に呑まれた。だがあちこちの岩角を頼りに何とか岸に上がった。近くに住む独り身の翁を頼ったが、この翁は情けのある者で、この女を助け、濡れた衣を干して二三日かくまった。

しかし盗まれた舟の主がこれを見つけ、このありさまを責め立てた。翁が少しの間留め置いたとはいえ独り身のこと、女はいたたまれずただ泣き伏すのみであった。

 

男は女を探して舟着き場に来たが、付近の人に見つかって「これは舟盗人だ。」と大勢集まってきたので、男は道脇に走って逃れた。人々が追いかけてきたので堤の傍らにうずくまっていると、女が駆け寄ってきて「この人を助けてください。私も危うい命を助けていただきました。武蔵国に行こうと思い、人から「今は水が多いから山道を行きなさい。」と言われたのを無視して川を渡った私達がいけなかったんです。」と泣いた。

 

この女があまりにも凛々しく、見目かたちも良いので、人々は舟を壊したのも責めず立ち去ったが、舟の主は「散財して作ったこの舟なのに、弁償もしてもらえないのか・・・」と言う。

男の親がやがて酒・肴を用意して「舟を壊したことはただただ許して欲しい。」と主に詫びた。人々は言葉少なに男女を許してやった。