文政五年(1824年)、真澄六十九歳の頃に書かれたものと思われます。
稲庭 |
稲庭うどんの佐藤洋助商店
天文(1736-40)の初め、佐藤氏五代目の吉左衛門が干うどんを作ったのが始まりで、真澄が訪れた時もたいそう繁盛していたらしい。
現在も老舗が立ち並んでいる。
<稲庭うどん>=真澄記=
名産御用乾饂飩(うどん)と看板を出した家がある。主人を佐藤吉左衛門と言う。
この家で干うどんを作ったのは天文(1736-40)の初め、佐藤氏五代目の吉左衛門が由利の郡本荘に行ってこれを習い覚えて稲庭に帰り、年月を経て工夫をこらして作ったことで、今は他に比べることができない程にその名が上がった。
その頃、本荘の師である干うどん師も尋ねてきて、自分の弟子ながら、稲庭うどんの製法を習っていったと言う。
もっとも、小麦は三梨(稲川町)の名産であり、この小麦もまたまれに見る小麦だと言われている。
このように、麦も良く、水も良いので名産となったのであり、諸国にも、仙北雄勝の郡の稲庭饂飩として知られるようになったのである。
「百千鳥」という秋田の前句の百選中の題「名代に成っては今は能ィ家部」と言う句に「どなたでもいなにはあらぬ此のうどん」と付けている。
小安温泉 |
<小安温泉の大噴湯>=真澄記=
川原温泉と言って、急な坂道を深い谷底に下る。
吉野山の御岳精進のものかわ、深い大淵との上の二丈(6m)ばかりの壁のような岩に、蟹のように横ばいになって進むと、割湯と言って湯を三・四丈も噴出している。 滝川を越えて、向こう岸の巌にあたって霧となって散っている。
割湯の岩穴ごとに湯気が霧のようであり、雷のような響きがして、水鉄砲のように湯が噴出している。
桧山台村 |
=真澄記=
この村は陸奥駒形山(栗駒山)の麓、出羽の馬草山(秣岳まぐさだけ)のこなたにある。
西には足倉岳があり、谷底のような山里である。
<須川の流れ>
高松から栗駒へ |
真澄:板戸村
真澄:桁倉沼
真澄:桁倉沼
真澄:川原毛
真澄:川原毛温泉
真澄:高松村螺沼
真澄:大山神
真澄:桧山台村
真澄:赤滝
真澄:栗駒山
真澄:酢川温泉
真澄:酢川温泉