天明8年(1788年)7月から真澄35歳の紀行文です。
馬門の関(野辺地)から青森を経由して下北半島を海岸沿いに歩き、三厩から舟に乗って松前へと向かいます。
蝦夷に行こうと決めて出立し、青森で天明の飢饉の惨事を見て断念してから3年、浅虫温泉でウニを肴に旅人や芸人が楽しそうに酔っているのをみて飢饉が終わったことを実感します。
もちろん、この海味噌で飲んだ旅人の中には真澄も入っていたことでしょう。
小湊の七不思議 |
=真澄記=
小湊に来た。ここはかつて平内と呼んだ。所々に槻木があり「錦樹の里」とも言う由を聞いた。
ここに七不思議の伝説がある。翁が手をとって教えてくれた。聞いたまま書こう。
1、猫に蚤たからず。 2、河童の人を捕らず。 3、玉味噌を汁と煮ても泡立たず。 4、稗の実二つ並んで実る。 5、雨の降る音がしない。 6、なる神とけず。 7、男女の愛が薄い。
鍵かけの坂 |
=真澄記=
小豆澤、藤沢、山口、中野の山里を通ってきた。鍵かけの坂を越える。
ふもとの大木の枝に木の鍵がかけてある。
ここは、好きな人がいればその人を思い、神に祈って木の枝を鍵状に折ったものを投げる。うまく大木の枝に掛かれば思いが叶うと言う。
2回も3回も投げることは、それだけ願いの苦労も多いことだそうだ。
浅虫温泉 |
真澄:浅虫温泉の眺め
=真澄記=
浅虫に来た。湯の島とて弁天を祀る。
♪名所々と浅虫は名所 前に湯の島霞に千鳥 都まさりの裸島♪と唄う。
宿に着いた。滝の湯、目の湯、柳の湯、大湯、裸湯など良く湧いている。
<浅虫温泉の由来>
洞窟が多い。昔蝦夷人や人さらいが隠れて、行きかう旅人を襲ったと言う。
恐ろしい話だ。
旅人達が海産物を肴に歌いながら飲んでいる。海苔を採って塩辛にしたもの、アワビ、海味噌(ウニ)等をならべている。
<弁財天島>
弁財天を祀る島がある。鬼となった女十郎姫とも、義経を慕う旭の御前が病で身まかったのを祀ったものと言われている。骨は朝日山安養寺(青森市横内)に葬られたという。
鬼や娘はいずこの者なのか。あるいか蝦夷人なのかもしれない。
浅虫温泉の眺め
弁財天
野内の関は鷲の尾の港 |
真澄:野内の浦
=真澄記=
野内の関に入った。「のない」は蝦夷の言葉で、本当は「鷲の尾の港」と言うそうだ。昔ここに鷲が尾羽を落としたこともあるのだろう。
「人問わぬ太山の鷲も哀れなり 誰にむくいの羽をとすらん」
野内の関跡
青森の善知鳥神社 |
真澄:善知鳥の森
=真澄記=
青森に来た。善知鳥の森だ。再びこの社の跡に手を合わせる。
<善知鳥神社の由来>
<善知鳥沼>
新町の端、安潟町より田の畔を通り、岩木山と眺めながら進んでいく。草も深く杣・山賊も知らないような所だ。青森の語源となった所にふさわしい。
昔はこの辺りは大沼だったそうだ。善知鳥の鳥が群れ住み、鳴き声は七里も届いたとか。
カモメに似て色は黒く、嘴は黄色で、足は薄墨で眼のあたりに白い羽がまだらに生えている。
善知鳥沼は安潟そのものであったのだろう。
善知鳥神社と善知鳥の鳥