天明4年9月、翁31歳の時の「秋田のかりね」(齶田濃刈寝)の後編になっています。
秋田県象潟を出発し、矢島を越えた真澄は、西馬音内・柳田の草(くさなぎ)家へ長逗留します。
天明5年正月から4月まで雄勝郡各地を歴訪して、友人と共に景勝の地に遊んでいます。
北は平鹿郡境の岩崎、南は院内、特に小野の小町の出身地である小野村では、丹念に古記を尋ねています。
また、湯沢での花見の宴も行って、浮かれた様子も見えます。
岩崎 |
真澄は黄色いまんさくの花が咲く杉澤を通り、岩崎へと行きます。
岩崎では皆瀬川の川向こうは平鹿郡であることに思いを致します。また、遠く見える磨戸山(左)を見て、鳩で鷹を捕らえることから鷹の町と言っています。
きっとこの岩崎八幡(右)にも詣でたことでしょう。
<三鷹物語>
湯沢の花見 |
四月十日真澄は湯沢の山田某に誘われて湯沢神明社で花見をします。
酒を飲んだとの記録がほとんどない真澄の紀行文でも、ここでは春の陽気に誘われて、良い酒を飲んでいます。
村の人々も、農作業の合間の花見を存分に楽しんでいるようで、厳しい冬があけた喜びが伝わってきます。
<神明社の花見模様>
須川 |
湯沢から小野村に行く道すがら、せき口村、上せき口村を経て須川を通ります。
ここを流れる高松川の上流には栗駒岳があって、その山ふところに須川温泉があります(現存)。
また、のちに「高松日記」でも訪れる川原毛地獄や泥湯温泉があって、「水の味酢して川には魚が住まず」と行人が言っている。と書いています。
また、古事記に「酢川岳跨奥羽両境、西北大岳有温泉」清和帝貞観十五年六月己午、授温泉神従五位下とあると聞いた、とも書いています。
小野(小野小町) |
横堀 |
雄勝峠の起点、横堀です。役内川が鬼首峠から流れ込んで、雄物川と合流しています。
真澄はここを通って院内に行き、銀山を見ています。
院内 |
慶長10年に発見された銀山は、秋田藩政を潤し、2万人を超える一大都市へと発展しました。
掘り尽くして閉山した今こそ静かな佇まい(左)ですが、真澄が訪れた当時も賑わっていたことでしょう。
真澄は銀山の歴史を含めて興味深い内容を記録しています。
<院内銀山物語>
最も古い坑道「早房坑」
雄物川の野遊び |
高橋某と雄物川の古河で野遊びをします。
つつじがさかりとあり、6月頃ではないでしょうか。
遠くに見える山々を楽しんでいますが、通りかかった女性の美しさにも目を奪われ、「小野(雄勝)にはよい女がいるとは聞いていたが、これ程の美人は世にあるまい、、」と愛でています。
<野遊びの様子>
最も古い坑道「早房坑」