文化3年(1806年)真澄53歳の紀行文です。
真澄は能代近郊を薬草刈りがてら散策します。
真澄と「薬草刈り」の関係は、真澄が青年時代尾張藩の薬草園で本草学を学び、弘前藩では採薬係を命じられていることからも、かなり深いものがあったようです。
天明五年、久保田(秋田)の吉川五明を訪ねた時も医師と名乗っており、本草学者としても相当なものであったと推察されます。
萩野の山神 |
=真澄記=
萩野の沼を巡って丘に登れば、祠があって石の仏三体を祀っている。
傍らに阿修羅のような木の像が、鉢巻をして手も鼻も取れた状態で立っている。
ここは神なのだろうか、仏なのだろうか。
長崎の五月雨沼(三頭沼) |
=真澄記=
広い水の面に岸の影が涼しげな五月雨沼(三頭沼)がある。
小島のように岸辺がら出ているのは五月雨大明神と言う。大行院優婆塞尊厳が仕える稲の神だ。
この沼の魚は全て片目だそうだ。
神の使いとして漁をしない慣わしだが、この春藩主佐竹義和が来られたおりは、一尺ばかりの鮒、 二尺あまりのセグロを捕って捧げた。
杉澤の清水(北能代) |
=真澄記=
野路をはるばる行くと、杉澤の左手の杉の木立の杜の窪んだところに良い清水が流れている。
神の祠があって、杉澤権現と言う。(今の熊野神社)
コウノトリが集まってうるさい。六月二十八日に祭事があり、相撲をとり、水に「こころふと(寒天)」や「むぎはな(素麺)」を放して涼をとる。
この神は熊野の神を遷し祀ったもので、秋田城介實季が建てて、佐竹の信仰も厚かったと言う。
目名潟 |
=真澄記= 右手に岩子山が見える。ここには大蛇の伝説があるそうだ。 女童がおみなえしを手に「今年はうれしや思うことかなった。」と唄っていた。 |
阿修羅王の滝(松源院の大滝) |
=真澄記=
八森にきた。五年前雪の降る頃に見た( 「雪の陸奥雪の出羽路」で訪れている)滝だ。
ここに閑居している天龍院の主と語り合った。山谷に轟く滝の音も、いささか遠く聞こえた。
尼堂(浜田の尼子岩) |
=真澄記=
浜田になった。
岩堂と言って、窟の中に不動尊を祀っている。
小川に沿って山路に入ると、高くて広い所に阿修羅王を祀っている。円仁(慈覚大師)が八森の不動尊を同じ大杉で作ったものだ。(写真左)
川の向こう岸に尼堂(尼子岩)と言って、窟(いわや)がある。昔尼が一人修行をしたところだそうだ。(写真右)
=AKOmovie記=
西国から漂流した舟の尼さんが修業をしたと伝えられ、尼子窟(いわや)と呼ばれる。
「尼さんは今でも住んでおられます。下の谷間から読経の声がするのも度々です。」と語られている。
岩館の笛滝 |
=真澄記=
岩館に来た。
立て岩があって小入川と言う。右に銀山があり小銀山と言う。
今日は笛滝を見ようと、舟人に頼んで磯舟を出して、一日中滝のもとにいて、夕方帰ってきた。
真澄:雄島と立岩
真澄:岩舘の浜
真澄:白神の山々
雄島
立岩
岩館の浜