おろちね(迺遠呂智泥)には「月のおろちね」(月迺遠呂智泥)と「雪のおろちね」(雪迺遠呂智泥)があります。 共に文化9年(1812年) 59才の紀行文で、太平山について記されたものです。 「月のおろちね」(月迺遠呂智泥)は、7月に秋田市寺内を出発、天徳寺・濁川・添川をへて仁別川を上って吹切野へ出ます。
山越え後八田を経て目長崎に至って、嵯峨家へ逗留し仲間と合流します。 黒澤村を通り、山谷村から太平山へ上り、木曾石、柳田を経て下山しますが、 <寺内が渓>や< ひる子物語 >、<相撲取り>など、土地の言い伝えも書かれており、読者を夢中にさせます。
「雪のおろちね」(雪迺遠呂智泥)は、雪が降ってから太平山の山麓を歩き、添川村や鍋倉峠から見た冬の太平山を書いています。これは写生図のみで、紀行文はありません。