天明6年(1786年)真澄33歳の紀行文です。
中尊寺で藤原秀衡600年忌をみて知人宅で過ごします。
山の目にて |
山の目(一関)の配志和神社
=真澄記=
かんな月(10月)1日になった。今日は餅をついて食べる習わしがある。
山の目(一関)の前屈という所の翁が102歳の祝いだと言って、糄米(ひらいごめ)を袋に入れて持ってきた。皆は「この元気は本当にそんな歳なのか?」とはやして、その米を炊いて食べ、祝いの酒を飲んだ。
龍澤寺 |
=真澄記=
龍澤寺という山寺の紅葉がきれいだと言うので見に行った。
紅葉を見ながら大きな木の下で時雨が止むのを待つのもいいものである。赤は血潮にも似て真っ赤で。皆の顔が紅に染まって寺の僧までもが酒に酔った顔をしている。
和尚が「ただ見ていてないで、いかがか」と連歌に誘うので応じた。
「薄く濃き 色を尽くして紅葉の わきてしくるる 庭の一もと」(真澄)
龍澤寺(資料)
雪の栗駒山 |
=真澄記=
徳岡(胆沢)に行こうと野の道へ出た。栗駒山が白く雪をかぶっている。
<鶴の物語(狩人の話)>
このあたりの田面に白鶴・真鶴・雁・カモ・しら鳥など多く来て、たくさん獲れたという。
あるとき大きな鶴が羽を射られて、笹の葉を噛んで傷を治そうと田の窪みの中で隠れていた。傍にはもう一羽の鶴がいてつがいだった。
田の翁が見つけて傷ついた鶴を家に持ち帰り、珍しい鳥だと迷ったが、庭で射殺した。つがいの一羽も傍を離れずその鶴も殺されたという。
中尊寺の秀衡600年忌 |
=真澄記=
藤原秀衡の600年忌があると言うので、朝早く山の目を出て人々と共に中尊寺に行った。
知足院の御仏は白い布を掛けて尊い。御仏の傍らに人々が集まって手向けの歌や大和歌を奉じている。
沢山の男女が集まっている。昔は白河の関から街道の道しるべに卒塔婆を立てていたとか。
やがて、笛を吹き、ツツミを鳴らして踊りが始まった。
見ていては日が暮れると、急いで山の目に戻った。
中尊寺
嫁入りの粧い |
チャグチャグ馬っこ
=真澄記=
ある家に嫁に行くとて人が騒いでいるのを見たら、たくましい馬に嫁が乗って鐘を打ち鳴らして近づいてくる。嫁は緋色の服を着て、さかさ袴に菅かさをかぶっておしとやかに乗っている。
先に立つ男ら、油を持ち何くれの調度品も持って歩いている。
どこの地域にもある風景だが、ここのはより華やかである。
<鉢巻して寝る>👍